過去の遺産がないと、新しいものは一気に普及する。

更地に建物を建てるようなものだからだ。

例えば、ほとんど自動車の走っていなかった中国。

今や数分に1台増えているとか。

同じ中国に、固定電話が殆ど無かったが、これは他の開発途上国も同様だった。

しかし、貧弱なインフラでも整備されるや否や携帯電話、スマートフォンが普及した。

中国は急速な経済発展もあって、特にそのスピードは目をみはる。

こういう動きに先進国は遅れを取ることがある。

特に、日本のように、規制社会であって、また、新しいものに拒絶反応を起こす高齢者が多い社会では顕著だと思う。

新しい動きは必然と多くの関連するブームを引き起こすが、ブームだけでは終わらない。

大きな方向で、技術革新による生活やインフラの変化は止められないし、人は新しい環境に適応していく方向でしか生き残れない。

ここに良い、悪いの判断は必要ないし、意味が無い。

良く利用するという方向に走るだけだ。

一過性のブームは、この大きな革新の流れの上にたくさん浮き上がる泡沫である。

インターネットが発展発達して、さまざまなサービスが始まったが、本質的にインターネットの価値に近いほど、そのサービス、技術は長生きするだろうし、遠いほど、短命かと思う。

無線インターネットもだいぶ普及してきたが、まだ自宅のコンピュータは有線という方が多いと思う。

自宅に光回線を引いて、安定した安い、高速なネットを活用できる。

ただ、これも、無線技術の発展普及によっては消える技術かも知れない。

あだ花としては、ネット上の初期のSNSなどは記憶にも新しいだろう。

また、一世を風靡したオークションなども今は下火になりつつある。

インターネットの利便性や特性の上に成り立ったサービスだったが、新しい応用技術やネットそのものの進化、また、人々の生活の変化で、同じネット上のサービスだとしても、他より便利で、ユーザビリティの高いものへ素早く移動してしまう。

膨大なデータが蓄積されたインターネットの世界から、欲しい情報を得ると言う行為は、おそらく無くならない需要だろうが、その手法、サービスは常に変化の兆しを見せている。

現在、検索と言えばGoogle社がほぼ独占しているが、こうした検索行動がどのように変化するかは、人々の行動様式の変化、インターネットの環境の進化、他のサービスとの相互作用などで決まってくるだろう。

全く新しい、見たこともないような技術は、過去の遺産のない頭脳によってもたらされ、また、既成概念のない世代によって拡張されていくのかも知れない。

その時、私は「最近の若い奴らは」と言わないように、頑張ってついて行けるよう足腰を鍛えておこうと思う。

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