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ビリー・アイリッシュ「All Lives Matter」批判の正しさと限界

ビリー・アイリッシュ「All Lives Matter」批判の正しさと限界 社会・文化・政治

↑ PHOTO : (rakuten.co.jp) ホエン・ウィ・オール・フォール・アスリープ、ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー? [ ビリー・アイリッシュ ]

ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)。初めてFMラジオで曲を聴いたときに、クリエイティブなサウンドに耳を奪われた。

ヒット曲「Bad Guy」であった。

しかしその後は、高齢になると同時に、音楽と疎遠になった筆者には、特別な接点もなく時間が流れた。

今回、全米で吹き荒れる、”黒人差別”に対する抗議運動・暴動を機にこのような形で彼女に接するとは思いもしなかった。(白人警官による黒人男性ジョージ・フロイド氏殺害事件 (wiki))

テーマは、一連の抗議活動で使われているスローガン、ハッシュタグに対してビリー・アイリッシュが非難するコメントを出したことだ。

ビリー・アイリッシュのインスタグラムでの批判内容

こちらの記事でビリー・アイリッシュのインスタグラムの内容について紹介されている。

実際のインスタグラムの内容は以下の通りだ。

 
 
 
 
 
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#justiceforgeorgefloyd #blacklivesmatter

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「All」 Lives Matterへの反対表明と理由

当初、抗議活動は「Black Lives Matter(黒人の命は大切だ)」というスローガン、ハッシュタグで行なわれていた。

ところが次第に「All Lives Matter(すべての命は大切だ)」が増えてきたことに関して、ビリー・アイリッシュが「白人には最初から特権がある」と批判を始めたと言うことだ。

>もしもう1度でも「すべての命が大切だ」という言葉を聞いたら頭がおかしくなる。もうだまーーーってくれない?<

>あなたは困窮してないし、危険に晒されてもいない。(子どもに話すように説明してあげるよ。そうでないとお前たちは理解できないだろうから)」<

 

なかなか厳しい言葉だ。

意味するのは、全ての命が大事なのは当たり前だが、今そこにある危機に対応するのが、まず最優先だと言う事だろう。

それが黒人が晒されている命をも脅かされている人種差別だ。

また、ビリー・アイリッシュは白人は、肌が白いというだけで特権を与えられていると、特権階級と命の危機にさらされ続けている黒人との立場の違いに言及した。

>好きだろうと好きでなかろうと、白人は最初から特権を与えられている。社会は白人というだけで特権を与える。貧乏でも苦しんでいても、肌の白さだけで他の人より特権がある。白人は肌の色のせいで、自分が意識しているよりも特権を受けている。誰も肌の色で特権を受けていることについては言わない。肌が白いだけで、命の危険を感じずに生きることができる。あなたたち白人は特権を受けているんだよ!<

白人の特権意識の薄さ~差別被害者との比較

実は特権を当たり前として受けているので、この特権に意識的でない白人は多い。

筆者の記憶でも、ニューヨーク在住の日本人の何人かが、自分が差別的な待遇を受けてきた人種差別経験を語ったところ、多くの白人の友人に驚かれたというエピソードを聞いている。

おそらく彼ら自身は「人種差別なんてした事ないし、見たこともない」と驚くのだろう。

しかし、日々行なわれる人種差別は、当たり前に毎日の生活風景に溶け込み、また自分自身の常識的な感覚に馴染みすぎて、全く気づけないのも理由だろう。

もちろん、あからさまな差別語による罵倒や暴力なら、多くの人が気づく。

しかし、比較的リベラルと言われる都市部でも、白人を中心とした人たちの、些細な対応や言葉遣いの違い、扱い方の差異、与えられる不可思議な帰結、自己中心的な「善意」、と言ったものは、差別を受ける側に明確に認識できるのに対して、白人側には明確な差別の意識もないので、人種差別が現に行なわれていることにすら気づかない。

無意識に多くの特権を享受しつつ、さらに自分たちの命も大事だ!「All Lives Matter」と主張することに対して、ビリー・アイリッシュは、彼らの無神経さ、強欲さ、無自覚を感じて、怒りとして表出したのかと想像する。

それでもなお「All Lives Matter」が大事なワケ

当然、今のアメリカで最も急務なのは、黒人をはじめ、日々、差別を受けている有色人種の命、生活、財産の安全を保障すると言った、国家として当たり前過ぎる前提を取り戻すことである。

苛烈な差別の中にいて、これらがいかに困難で、時間を有する長い道のりになるか、日本人の筆者には想像を絶するものだろう。

それでも、ここでどうしても付け加えるべきなのは「All Lives Matter(すべての命は大切だ)」がやはり大事だと言うことだ。

これは美しい理想だから。ではない。

これが差別の根源に関わるからだ。

ビリー・アイリッシュが「All Lives Matter(すべての命は大切だ)」を語るとき、「Allには誰が含まれるのか?」は、想像するしかないが、おそらく、アメリカの白人、黒人、ヒスパニック、アジア人、ネイティブアメリカン、移民、不法移民、その他と言ったところかと思う。

あるいは、世界の人々全てと思っているかも知れない。

しかし「人」と限定している限り、差別に終わりがない。

全ての動物、植物、物に対しての慈しみが人種差別を超える

「All」にヒト以外の動物、植物、物が全て入ったときに、人種差別も終わる。

こうした考え方は、ヨーロッパ起源の白人には理解しづらいようだ。

筆者はさまざまな外国人と話してきたが、こうした考え方を理解できた白人はほとんど会ったことがない。

彼らのほとんどは熱心なクリスチャンでもないし、教会に行くこともない。

それでも、歴史的、文化的、言語的な背景、土壌で育つその精神の姿には一神教的な堅固な頸木がかけられている。

神的なる存在と、その下にヒト、その下に他の動物たち。

動物の下に、植物、また石ころ。という形の序列である。

万物に序列があるなら、人種だけ序列が無くなると言うことは理論的にも、精神的にもありえない。

知能の高低で動物に序列をつける「クジラの愛護団体」などの思想もこうした万物序列主義に依拠する。

これらの活動が、非常に感覚的であり、時に激しく感情的になるのはここに原因がある。

「All Matter」が人種差別のさまざまな原因動機を超える

もちろん、その他にもさまざまな差別の原因がある。

「異物を排除したい」という生物に本来ある性質もそうだ。

また感情を揺さぶる直近の歴史的な記憶も差別を呼び起こす。

数日来よく見るテレビニュースなどですら、偏見や差別を惹起する。

ささいな個人的な嫌な記憶や人物が、特定の人種に対する偏見に普遍化することもある。

かように複雑で激しい感情や考えを背景に人種差別が行なわれるワケだが、それでもなお、万物に対しての畏敬と慈しみがあれば、いずれ治まるのだと考えている。

これは万物序列主義の反対に立つ「万物平等主義」である。

コップの水一杯を大事に植木に与える心こそが、人種差別に対する根源的な治療法だと思う。

だからこそ、「All Lives Matter(すべての命は大切だ)」であり、言い換えれば「All Matter」とも言えるかもしれない。

 

writer: 羽家吾穂

 

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