滝川クリステルさんの東京オリンピック招致スピーチ
2020年のオリンピック開催地に名乗り出た東京は、IOC国際オリンピック委員会の総会(アルゼンチン・ブエノスアイレス)で、最後のプレゼンテーションをしました。
そのときに壇上に立った1人、滝川クリステルさんは「おもてなし」と言う日本語をキーワードに、日本での開催の魅力をアピールしました。
両手を合わせる不思議なジェスチャーと共に語りかけた「お、も、て、な、し。オモテナシ」というフレーズは流行語にもなったので、きっと覚えていると思います。
「おもてなし」は、日本、日本人の、お客さんへのホスピタリティをよく表している言葉ですよね。
「おもてなし」の存在基盤、その対となるもの
しかし、「おもてなし」は、お客の「お邪魔します」「お世話になります」という感謝の気持ちと対になるものであって、どちらか片方だけでは成立しません。
コインの裏表、あるいは車の両輪です。
たしかに、今のところ、1年間に4,000万に迫ろうとする、激増中の訪日外国人観光客は、「おもてなし」を受けているでしょう。
特に観光地や、観光業ではしっかりと実感できるはずです。
外国人観光客による日本人の日常生活圏へ進出
しかし、訪日が2度目以降の中国人旅行者や、日本好きが高じて訪日している欧米人旅行客は、必ずしも外国人観光客用に準備された場所には行きたがりません。
むしろ、外国人観光客があまりいないところ、或いは日本人と同じような日常体験が出来たり、共有できる場所を好みます。
そうした好奇心や冒険心、異文化理解への意識、日本を知りたいという気持ちはとても有り難いものです。
しかし、往々にして、そうした気持ちや気分、意図は、日本文化や日本に対する敬意や配慮を欠いたものになりがちです。
特に、もともと日本好きでもないのに、近い、安い、ブームだからという理由で訪日している外国人観光客には多く見かけます。
ユーチューバーや、国際的なナンパ師などでも目立った人が記憶にありますよね。
こうした敬意と配慮に欠いた観光客は、おおよそ問題行動を各地で起こします。
観光地以外へと流れ出した外国人観光客が増えるほど、問題行動は顕著に増えてきます。
そこは日本人の日常生活の場であり、好奇心で観察されたり、いたずら半分にちょっかいを出されたり、不躾に侵入されたり、軽んじられて文化を破壊される場所では決してありません。
「お邪魔します」「お世話になります」と言った感謝の気持ちが欠けているこうした場面で、いつまで「おもてなし」を日本人は続ける事が出来るでしょうか。
危機に瀕する「おもてなし」文化
私は、「おもてなし」の文化・伝統は、2020年の東京オリンピックまで続けられないで、ほころびがたくさん出てくると思っています。
「おもてなし」を全面に出した東京オリンピック招致は、「おもてなし」を何の支援もなく、協力も見返りなく、国民に強要する形になっています。
行政は、自らがサービスを提供する際には、税金や各種料金を強制的に徴収します。
「おもてなし」を人々に要求するなら、せめて、国民が「おもてなし」したい、「おもてなし」出来る環境を整備する必要があります。
法整備や規制も必要ですし、行政が関与して管理すべき場所や支援すべき場面も多いのです。
全てのもめ事を国民に押しつけて、文化財や生活を含めた地域の管理や保護まで任せきった上で「おもてなし」が自然と生まれると考えているなら、ただの理想論ですよね。
現状が続くなら、近い将来に「おもてなし」、とくに外国人観光客への「おもてなし」は消耗して、消えてしまうでしょう。
それどころか、軋轢やトラブルが発展して重大な事件や騒動、外交問題にもなりえます。
東京をどのような姿にしたいのか、また、日本全体、各地の景色をどうすべきなのか、住民、国民でよく考えて、その方向へ着実に手を打たない限り、「おもてなし」は摩耗し、痛み、傷つき、疲弊して終焉へと向かうことになるでしょう。
追記:
南蔵院、団体外国人お断り 境内で大音量音楽、屋根に上って写真…福岡の観光名所
(リンク切れ)http://qbiz.jp/article/143945/1/
南蔵院は、巨大なブロンズ製の釈迦涅槃(しゃかねはん)像で有名なお寺で、福岡県篠栗町にあるそうです。
このお寺が外国人観光客のあまりのマナーの悪さに団体客に限定ながら、受け入れを拒否することになったそうです。
「境内で音楽を大音量で流して踊る」などの行為があるそうですが、「文化の違い」と解説する識者もいるようです。
もし私たちが、彼らの宗教施設や公共施設で同じ事をして、「ああ、日本人の観光客か。文化の違いだから仕方ないね」となるでしょうか。
常識があれば、すべきでない行為である事は分るはずで、敢えてやると言うところには「悪意」や「文化への侮蔑」すら感じられます。
日本では現状、こうした迷惑行為、マナー違反については、この記事内の識者が言うように、理解してもらう、情報を提供する、と言う方向のようですが、「確信犯」には意味がありません。
チラシを作ったり、張り紙したり、聞いていないアナウンスを流すのではなく、大切な文化や施設を守るために人員を配置し、問題があった場合は、すぐに注意や指導、或いは拘束し警察に連絡するなどの手続きの整備が必要です。
一歩間違えたら、警官に射殺されたり、収容所に入れられるような国から日本に来れば、何でも好きに出来る、自由で、別世界にいるような、王様気分なのかも知れませんが、助長させているのは受け入れ先の日本の制度だと言うことも忘れないで行きたいですね。
writer : 羽家吾穂