テレビニュースや新聞などで、ここ2-3年だろうか、「●●国籍の男」というような表現をよく見るようになった。
●●国籍の男というのは、一般的には●●国人と呼ばれるし、●●国人というのは、その国籍をもつ人の事だ。
日本人というのは、日本国籍を持つ人の事をさすのが世界の常識だ。
心情的な意味で、あるいは文化的、歴史的な意味合いで、外国人を「日本人」と呼ぶ事はあるが、当然、それは「日本人的なるが外国人であること」、または「日本の血筋、家柄だが今は外国人になっていること」などその表現の背景を明確に示さなければならない。
これを黙っていてはまた混乱する。
●●国人という概念は今は大きく変った。
基本的に一つの文化、言語、宗教や習慣などを共有する、同じ人種の人間が●●国人とかつては呼ばれて、今でもそのようにイメージしやすいが、これは別の表現で指し示すしかない。
●●国人は、●●国の国籍を持つ人以外の意味はない。
では、なぜマスコミは頻繁に「●●国籍の男」等の表現を繰り返すのだろうか。
ここには、●●国籍だが、「本当の●●国人ではない!」という不当な差別意識か、●●国人だが、「それを言いたくない」というような隠蔽体質を感じる。
そもそも、それ以外の「特別に配慮すべき事情がある人」ばかりのワケがないではないか。
私が報道されるときには「日本国籍の男」と彼らは言うだろうか、海外で報道される時にはたんに「日本人」と言われると思うが。
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